昭和34年、

とある日のビクタースタジオにて

"時期は昭和三十四年の早春、梅もちらほらとほころび始めた頃、築地のビクタースタジオで朝から民謡研究会の稽古が行われておりました。

この日に限って子供連れの親御さん達が多かったようです。
ビクターへ行けば有名なアーティストに会えるとでも思ったのでしょう。スタジオのあちこちを珍しそうに見物していた子供さん達ももうみるものを見つくして、手もちぶさたから親御さん達と一緒に民謡を唄い始めました。
ソプラノの澄んだ子供さん達の民謡コーラスが、親御さん達の唄をバックにすばらしい演奏効果を発揮したのです偶然の時と場所で、得がたいものを発見したのです。コーラスの一大盲点である、子供達による、少年コーラス団このアイデアはさっそく文芸部門の企画として取りあげられました。
善は急げとばかり、数日の準備期間をおき、前述のような子供さん達を各種の組織によびかけ、その協力のもとにスタジオテストを行ない厳重な審査の結果、種々条件にかなった子供さん達が選出されました"

文引用・ビクターミュージックブックMBK-5006 

少年民謡会が誕生した日本ビクターの築地スタジオ。

画像・https://ytoma.hatenablog.com/entry/20170414/1492149489


おチビコーラス誕生!

ビクター少年民謡会の初舞台は昭和34年6月の浅草国際劇場で行われた、「和田弘とマヒナ・スターズ・ショウ」の前座で出演。これが彼らのデビューとなる。デビュー後は民謡ファンの間で全国的に話題となり、彼らの活躍はレコードのみならず、全国各地のステージ、映画にも及ぶ。 

少年民謡会がデビューした浅草国際劇場。

画像・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8A%87%E5%A0%B4


デビューに関連する記事


初代メンバーの変遷

デビュー直後の初代メンバー(初代初期)

※写真はないが、この4人に加えて菊地章も在籍していた。 

初代中期

小高桂子(写真向かって左)は菊地章、中村よし美が離脱した後、新メンバーとして加わった。


初代後期

広瀬一声が変声期を迎え離脱、その後1963年の解散まで続く。少年民謡会というと、この三人を思い浮かべる人のほうが多いのではないだろうか。


少女雑誌『ひとみ』に掲載された、初代後期メンバーの取材記事




後に他のレコード会社から登場した子供民謡グループ

ビクター少年民謡会のデビュー後、他社からも子供だけによる民謡グループが登場する。

・コロムビア少年民謡隊(コロムビア・レコード)
・キング三橋少年民謡隊(キングレコード)
・ポリドール民謡少年隊(ポリドール・レコード)
・東芝民謡かっぱ会(東芝レコード)
・クラウン子供民謡合唱団(クラウン・レコード)


同年にデビューした歌手・アーティスト
 
4月、ザ・ピーナッツ
7月、水原弘
10月、こまどり姉妹、坂本九
11月、井上ひろし

参考・ https://sweetsoilmusic.com/1959-hit-songs-japanese-music/#toc2</p>